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「祇園あきしの」たよりNo.9 2018年10月30日号 女将の祇園日記


1991年(平成3年)秋にオープンした「祇園あきしの」の3年後、1994年(平成6年)京都ホテルオークラの支店開業に何とかこぎつけたものの、1週間後に私が倒れてしまって、一時はもはやこれまでと覚悟する状況に陥ったこともありました。

けれども、ここで己に負けてはならないと、持ち前の気の強さと何かに導かれるように決意をもって開店3ヶ月目に社内を刷新、新規まきなおしでお店を立て直したということもありました。その後、1995年阪神・淡路大震災、1996年爆発的に発生したo-157、2008年リーマン・ショック等々、激変して行く時代を夢中で走り抜けてまいりました。28年なんてあっという間の一瞬のように感じます。

ある時には祇園本店で、従業員が閉店後の夜中に害虫駆除作業を施して帰宅したところ、その数十分後に煙がモクモクと立つ通気口に驚いた方から消防署に連絡が入りました。

当時、店の近くに住んでいた私はお風呂に入りかけの着のみ着のままの姿で四条通や富永町に長い消防ホースがどこかに向かって続いているのを目で追いながらあわてて走りました。

到着すると、私の店からたいへんな白煙が流れ出ていました。「害虫駆除してました!すんまへん!!」「表閉めへんかったら泥棒はいるで」消防士の方に言われてあわてて玄関を閉め、煙で半泣きになりながら警察にもご近所さんにも平謝りにあやまりました。煙を使うときは消防署に必ず連絡することを学習しました。

かと思えば、年に一度だけ好きな海外旅行をする私が、ナスカの地上絵を観るセスナ機にはらはらドキドキしたり、マチュピチュに感激して大いにリフレッシュして気持ちよく早朝に帰国して、その足で本店を開けようとしたら、何とすでに店が開いていたのです!なぜ??

つづく


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